和銅黒谷駅から熊谷通りを経て秩父札所第1番へ

秩父札所の第一番四萬部寺、その山門前に立っています。反対側には、現在も営業している木造建築の巡礼宿が・・・。

江戸の時代、ほとんどの巡礼者が徒歩で、安戸宿(東秩父村)から粥新田(かゆにた)峠を越え秩父に入ったそうです。

おそらくこの宿も巡礼の起点として、利用していたのでしょう。寺の山門とあいまって風情ある雰囲気を醸し出しています。

いよいよ聖地に!

初めての札所巡礼は2011年でした。真夏の炎天下、菅笠(すげがさ)常用の徒歩巡礼を敢行したんですね。 

初めて身に着ける菅笠と『付け焼き刃』的な参拝知識のせいでしょうか。気恥ずかしさと不安から山門の前で戸惑い、躊躇したのを覚えています。

でも、経験がないのですから、いくら考えても答えなど出るはずもないんですね。

後から考えれば笑ってしまうような、あたり前の事があたり前でなかった事、いくつになってもありますし、経験はとっても大事な事なんだなあと、つくづく思います。

今日は、戸惑うことなく合掌一礼して山門をくぐります。

札所第1番四萬部寺門前

手水舎で手を洗い口をすすぎます。

札所第1番四萬部寺手水舎

文政9年(1826)の宝篋印塔

札所第1番四萬部寺宝篋印塔

功徳石

札所第1番四萬部寺功徳石

経塚

性空上人の『秩父は観世音菩薩有縁の地なり・・・』という教えにより、弟子の幻通が4万部の経典を声に出して読むことで供養をおこない、経塚を築いたとされています。

ここから四萬部寺という寺号が生まれていて、その経塚を再興したものがこちらなんですね。

一言で『四万』というのは簡単なことですが、仮に1日1部読んだとして、40,000日を生きる人は、ほぼいないことを考えると、その数は物凄いものだと思います。

札所第1番四萬部寺経塚

元禄10年(1697)の観音堂

納経を終え、本尊前で礼拝しようかというところで、巡礼ツアーに遭遇しました。

私は写真撮影とか他にもやることがありましたので、しばしの休憩に・・・。

札所第1番四萬部寺梵鐘

こちらの団体御一行様は巡礼ツアーというより観光ですね。静かな四萬部寺の境内が『あっちだこっちだ。ギャーギャー、ワハハ。』と響き渡り、境内の参道が渋滞するくらいの賑わいを見せ、ものすごい数の灯明が灯されていました。

お帰りになったあとは嵐が通り過ぎたかのようで・・・。

もちろん、聖地で静寂を求める向きもあるでしょうが、見ていて楽しそうな雰囲気は、とても気持ち良かったです。

札所第1番四萬部寺本殿

四萬部寺は、観音堂の中に上がって参拝できますので、向拝下で履物を脱ぎ、本尊の御前での読経をおすすめします。

より仏縁が深まることを肌で感じていただけるのではないでしょうか。

私は、合掌礼拝、開経偈、般若心経、御本尊(聖観世音菩薩)真言、回向文を読経させていただき礼拝を終えました。

観音堂は、元禄10年12月22日造営の棟札(むなふだ)が現存していて、江戸中期の代表的な構造技法で、秩父地方における社寺建築の規範となっているんだそうです。

札所第1番四萬部寺板唐戸

重厚な板扉の金物は、セミがとまっているように見えます。人生の儚さや、諸行無常を教えるものなんでしょうか・・・。

札所第1番四萬部寺金物

施食殿

毎年8月24日に大施餓鬼の供養を執り行うためのお堂です。全国的にも珍しいとか・・・。

中心の八角形(八角輪蔵)は回転するように造られていて、読経する衆僧と八角輪蔵が、ともに回転しながら供養をおこなうのだそうです。

札所第1番四萬部寺施食殿

結局ここに1時間以上いました(⌒_⌒;

札所第1番四萬部寺合掌一礼

今日の予定は、秩父札所第8番までお参りして、横瀬駅から電車で帰ろうと思っていたのですが・・・。

到底ムリか。

10月の第3週は夏日(25度以上)で、青空の下、とっても気持ちの良い日になりました。

さて、次は第2番ですね・・・。

この記事を書いた人

つくいひであきゆるーり秩父、寺めぐり。管理人
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人混みは苦手、静寂を好み、格闘技を愛し、ときどきギターを弾きます。
仏教徒。でも讃美歌は好き。
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